ノートパソコン命名の経緯
ネーミングライターの弓削 徹(ゆげ・とおる)です(^^)
弓削のプロフィールや、ご紹介いただくフレーズに含まれることが多い「ノートパソコンの命名者(名付け親)」。
その顛末について書いておいたほうが親切ではないか、という助言をいただきましたので、本記事にてお伝えしたいと思います。
ときはWindows OSが発表される前です……。
パソコンのOSはメーカーごとにバラバラだった
当時は、パソコンメーカーごとにOS(基本ソフト)が異なっていました。そのため、ソフトウェア・ハウスはパソコンメーカーごとにソフトをカスタマイズしてリリースしていました。
例えば、NEC、富士通、シャープなどのそれぞれのOSに向けて、という具合です。
そして、当時はNECの「PC98シリーズ」が最強で、高いシェアを誇っていました。私はNECのマーケティングにも携わっていましたが、別のクライアントであるEPSONの案件として、同社のパソコンのブランド開発に関わることになりました。
EPSONはパソコン事業に進出する意思決定をおこなったのですが、独自のOSをつくっていてはソフトウェア拡充が間に合わないので、互換機路線をとろうとします。
それは、NEC PC98シリーズ向けのソフトウェアはすべて使えるOSを搭載したパソコンを開発、発売しようというわけです。
互換機路線を選択したEPSON
市場にはPC98向けのソフトウェアが豊富にあるわけですから、ユーザーは安心してEPSONの互換機を購入することができるはず、という戦略でした。
まずはデスクトップマシンとしてPC286をリリース(PC98みたいですね)。さらに、ワープロ事業との連携で、持ち歩けるサブマシンを開発、発売することとなります。初期の本体は小さな液晶しか搭載していませんでした。
このマシンのネーミングを依頼されたときに提案、採用されたのが「ノート(note)」だったのです。
ところが、本機がユーザーから評価されて市場で話題となったことで、さらにEPSONはパソコン本体として「PC-286ノート」を開発、リリースします。
ここに至り、NECサイドがEPSONの互換機路線に気づいてしまいます。結局、本件は裁判沙汰となり、両社の間で知財侵害の有無をめぐって争われるのです。
そして半年ほどで和解に至り、EPSONは知財使用料として金員をNECに支払う、というカタチで決着します。
そののち、NECからEPSONに連絡が来たのが「ウチもそういうパソコンを発売する。ついては『ノート』というネーミングを使わせてもらえないか?」という申し入れでした。
このくだりで、私が使っているネタが「ノートだけにノーとは言えない」(笑)。
NEC、PC98noteの誕生
当時、パソコン市場のチャンピオンであったNECが「これはノートです」というのですから、他メーカーもユーザーも「ノートですね」となって市場に定着していきました。
それまではラップトップと呼ばれていたものが、よりコンパクトになり、カラダや手が小さく、電車で移動することも多い日本人が本当に持ち運んで使用できるパソコンは「ノートだね」と変化した瞬間でした。
その後は、皆さんもご存知のようにカテゴリーネーミングとなり、代名詞となっていきます。当時は商標登録もできましたが、いまでは一般名称であるため登録はできません。
ちなみに、当時はリコーがすでに「ノート」の商標登録をしていたため、EPSONは譲渡交渉をしてまで採用してくれました。
ちなみに、NEC社内では営業部のエライ方が「ノート」とネーミングしたと言い習わされていますが、当時の商標登録やリリースの順番、パソコンの歴史をひもとけば真実は明らかでしょう。
製造業マーケティングコンサルタント、弓削 徹(ゆげ とおる)でした。
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